青雁皮紙とのなれそめと経緯



 初めに述べたように私が青雁皮紙の抄造を思い立ったのは、障害者の施設で紙漉きを再開させたいことが動機であったが、西表のシスター金光のところに通って紙漉きの指導を受け始めて青雁皮紙が出来たときの感動は続々々田奈部豆本第四、五集の『琉球紙』の中の西表の青雁皮紙(多屋孫書店。田辺市。平成6年)に記載した。

 シスターが病に倒れてからは、西表の無人の修道院に通い一人で紙漉きを行う傍ら内地の古い紙漉き所を尋ねたり文献を探して勉強したりして必死であったが、たまたま西表の民宿に泊まった時、宿の主人から“毎月西表に通って何をしているのですか”と聞かれ、紙漉きを修道院で勉強していると言ったところ、シスターが“やっと後継者が出来た”と言っていた方はあなたですかといわれた。

 また、シスターの病が重くなったとき、“どうぞ紙漉きだけは止めないで下さい”と手紙に書いて送ってこられ紙漉きを止めるわけには行かなくなった。

 一方で何とか青雁皮紙が漉けるようになってみると、内地の雁皮紙と違った青雁皮紙の持つ個性的で独特な魅力にひかれて毎月石垣に通い何時の間にか15年が過ぎてしまった。

 この間色々と悩み、苦しむ事も多かったが内地の雁皮紙に比べて劣らずしかも個性的な性質をもつ青雁皮紙が漉けるようになり、亜熱帯の風土を生かした青雁皮紙や和紙を抄造して生活出来るような作品を開発し後継者を育成出来ればと思いつつ、今なお石垣に通い豊かで美しい自然の中で紙漉きを行っている。 

新聞記事は紀伊日報 1995年(平成 7年)7月9日報道


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