著者プロフィール 平山 章
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| ......................... | 医学博士 和紙文化研究会会員 |
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| 東京女子医科大学教授を定年退職後慌しい大学生活から開放され、人生を振り返り今まで出来なかった事をしたいと思い、東京にある病理組織研究所で毎月数日働き、残りは自分の趣味やレジャーを楽しみたいと思い、友人の勧めで石垣に通い始めたが、石垣の障害者の“わしの里”という福祉施設にボランティアとして協力することになってしまった。 |
| ところがその施設はわしの里と呼ばれているが和紙がまったく漉かれていないのに気付きこれには何かの事情があるらしいと思い調べたところ、わしの里開設当時はシスター金光が青雁皮紙抄造を障害者や職員に指導をしていたが何かの事情があって西表に引き上げ、その後紙漉きは中断していることが判った。 |
| それでは私が青雁皮の紙漉きを習って協力しようと思い立ち指導者を探した所、シスターは相変わらず西表で青雁皮紙抄造を行っている事を知り、友人に紹介してもらい毎月東京から西表を訪ねシスター金光に青雁皮紙の抄造を習ったが、不幸にしてシスターは病に倒れ九州にある本部の病院に移ることになってしまった。 |
| 私の習った紙漉きの技術や知識はまだ不充分であり、その後は西表で青雁皮の紙漉きと栽培を行う傍ら、内地にある何ヶ所かの古い紙漉き所を訪ね、伝統的な紙漉きを見学、実習するとともにわしの里の医療担当を兼ねた顧問となり青雁皮紙の紙漉きについて研鑽していた。 |
| 西表は離島であり何かと不便なために石垣に工房を造ろうとしたが,思ったような土地が借りられず困っていた所、石垣に出来た新しい老人保健施設の施設長になってくれれば紙漉き工房を造り提供するという事なので施設長に就任し老人福祉問題に取り組む一方で紙漉きを行ってみた。 |
| 施設長に就任してみると二兎を追う事は無理である事が判り、結局1年で退職し内地の和紙関係の所からの誘いもあり、内地に引き上げる事に決め市長に挨拶に行った所、幸いにも市有地を提供してくれたので私財で青雁皮紙研究所を設立した。 |
| 現在は青雁皮紙を含めた和紙の科学的、形態学的研究を行う傍ら青雁皮紙を中心とした和紙の抄造を行い、八重山の祖先が開発した文化的にも貴重で個性的な青雁皮紙の啓蒙と現代に適応した青雁皮紙の在り方の研究を行っている |