| 紙漉きの技術が日本に導入されたときは主として政令の伝達や写経などに使われる事が多く政府主導で民間人は紙漉き専業として使われていたが、彼等は原料として麻、木綿以外に楮、雁皮などの靭皮繊維が含まれている樹皮を原料として使用するようになり独特の流し漉き法を発明した。 |
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室町時代になると栽培が容易な三椏を中国から輸入し和紙の原料は以上の3種を夫々の目的に応じて用いられる様になった。 和紙を使用する人は主に武士とか上流階級の人が多かったようであるが、江戸時代になると和紙は各藩の重要な収入源となりその製法は藩の秘密として守られ和紙は原料が同じでも夫々の藩で付けた名前で販売されていたが、江戸時代になると和紙抄造の最盛期を迎え和紙は庶民にとけ込み和紙は単なる書くための物以外各種の日常生活用品として使用されるようになった。 |
| この事実は江戸時代にイギリスから来たパークスのコレクションを見ても和紙が日常の必需品としていかに多く用いられていたかが判り、来日したその他の多くの外国人からも高い評価を得、和紙の作品はイギリス、ドイツ、デンマークなどの博物館に保存されている。 |
| 所が明治時代になると印刷に適した洋紙が庶民の間に浸透し始めたが、依然として手すき和紙は江戸時代のまま秘密主義を守りつづけ和紙は一部の分野で用いられるまま現在に至っておりこの現状に危機感を覚えた内閣印刷局勤務農商務技師の佐伯勝太郎氏は明治37年(1904年)“本邦製紙業管見”で手漉き和紙について次のように述べた。 |
| 「従来の行き方を改め機械化出来る事は機械化し従来の手漉き和紙にこだわらず需要者のニーズに合った充填剤やその外の科学的処理剤の研究を進め、また紙産地部落における多数の和紙抄造を行っている人々を団結させ共同組織を作り製造を分業にするべきであると」しかし現状は依然として旧態から脱することが出来ない状態と思われる。 |
| 現在使用されている和紙は書画やその他の素材として用いられる事が多く、また、和紙の素材である楮、三椏、雁皮などは栽培や紙料の処理に多大の時間を要し、手漉き技術の習得も容易ではなく、したがって高価な値段となっている。しかし和紙は洋紙と比較しても独特の性質を持っておりその個性を生かし単なる素材の提供者にとどまる事をせず消費者のニーズに答える事が出来る素材や創作和紙に挑戦する事が望まれる。 |
| 以前私が行った青雁皮紙を使用した作品展示会の際に得られた276人のアンケートによると和紙を良く知っていると答えた人は17%,使ったことがあると答えた人が37%で和紙に対する関心は薄れてはいないと思われる。 |
| 一方青雁皮紙を使用した作品の中で良かったと思う作品はどれかについての質問では染色した1m×2m大の2層漉き創作和紙が35%を占めており,ちぎり絵19%,水墨画18%,書道12%,油絵12%,版画6%,生漉きの青雁皮紙8%であり今後は夫々のユーザーのニーズを知るとともに積極的な創作和紙の展開が望まれる様に思われる |
| たとえば外国から和紙の研修に来る人々を見ると夫々が和紙の性質を利用して自分の発想を上手に生かした作品を作っているのには驚かされる。優れた靭皮繊維から成り立っている和紙の特性を如何に生かし作品として消費者に受け入れられるかについて業者間で活発な議論と研究を行う事が現在の手漉き和紙業者に負わされた重要な課題である。 |
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